他者をわかる、理解する
と言う時、ロマンティストは、相手がイメージしているものと、同じイメージを持つことだと考える。
# サイキックだな(笑)

 

「イヌ」と誰かが言う時、個々人の中に何らかの「イヌ」のイメージがあって
個々人によって、それは黒いイヌだったり、白いイヌだつたり、マルチーズだったり、ハスキーだったり…まぁ色々だ。

 

じゃあ、相手がイメージしているそのイヌの姿が完全にわからないと「イヌの話」ができないのか?
というと、そうではないよね?

そもそも、「イヌ」と言った「その時」、それを同じ1人の人が発話したとしても
どんなときも常に同じ姿をイメージしているかというと、案外そうでもなかったりするしね。

 

常に相手の頭の中のイメージをそのまま共有できるなんてのは、幻想、いやいや妄想だ。

 

けれど、私たちは、相手とそっくりそのまま、全く同じイメージというものを持てなくても
「イヌではないものとの区別」として、「イヌ」というものについて、話をすることができる。

 

この、サイキックでもない限り「相手のイメージなんて、全く同じものは持ち得ない」ということがわかって、他者の話がきけるかどうか
そこが、上手い心理療法家とヘボい心理療法家との違いなのかもしれない。

ヘボいと、「話を聞けば、相手のイメージが正しく理解できるはずだ」との妄想から
まず、セラピストである自分が納得したがる

いやいや、あなた。
納得や洞察や気付きがいるのは、クライアントさんなわけで
セラピストの納得を第一においてどーする。

それは、単にセラピスト本人の「わかるはずだ、わかりたい」という欲求を満たすだけの行為でしょ?

 

私たちは、「不安じゃない」ものと切り分けることで、「不安」というものについて話ができるはずだ。

だからセラピストが自身に育てないといけないのは、この「切り分ける」能力であって
サイキックでもないのに、相手のイメージを正しく理解できるはずだなんて思うと
わかったつもりになって、セラピストの認知を押し付けてしまうことになるよ?

 

「わからない」というのがベースにあればこそ、ちゃんと「物分りの悪い」セラピストとして
相手の洞察を導いていけるんであるし
目的は、セラピスト本人がわかることじゃない。
クライアントさんがわかることでしょ?

だからね、少なくともセラピストは
相手を理解するということは、相手と全く同じもの、寸分違わず同じイメージを共有することであり
それは、スキルがあれば、そうなれるはずだ
なんていうのは、ファンタジーであり、妄想だということに、早く気づいた方がいいと思うな。

そうじゃないと、わかった気になってしまうと
質問に対してのクライアントさんの返事から、セラピストが最初に持った見立てや方針を、変更していくことができない。

これができるセラピストこそが、エリクソン言うところの「柔軟な」セラピストということなんじゃないのかな?

これができないということは、つまり、セラピストの認知を押し付けることをしてしまうということ。

それはクライアントさんを支配するということだよ。

 

大事なのは、セラピストのわかりたい欲求を満たすことじゃなくて
クライアントさんが、何かに気付けたり、洞察がうまれたりすること
これ、肝に命じた方がいいよ。

ヘボいセラピストほど、結局、自分が相手を理解した気になりたがるからさ。

 

・・・・・・・

えぇ、察しのいい方にはお分かりの通り
つまり、昔の私はそうでしたという告白だったりもするわけです(^^ゞ