動物は、快・不快の原則で生きています。

お腹が空くと、生命の危機なので
その死という怖いこと不安なこと
つまり不快を避けようとして、エサを探します。

お腹がいっぱいになると
とりあえずしばらくの間、それで命を継続できるので
安心して、満ち足ります。

つまり
怖いこと不安なことを避け、嬉しいこと楽しいことを求めて、生きていくのが動物です。

人間もまた、動物なので、この快・不快原則で行動します。

だから、自分にとって役立つこと、よいことがない限り
その行動へのモチベーションは起こりません。

たとえば、大好きなお友達と意見の違いからケンカをします。
動物というのは、まさに「今そのとき」の中でのみ生きているので、先のことは考えません。
考えるには言葉が必要なので、言葉を持たない動物にはそれができないのです。

ちなみに、論理思考なんて言葉がありますが、論理も同じこと。
言葉なしに論理なんてわかりません。

だから、動物は仲直りという概念がありません。
今この瞬間、気に入らない(つまり不快だ)から、それをなくすために吠えたり威嚇したりします。

けれど、ケンカしっぱなしで仲直りがないと
その相手とは永久にケンカした状態で関係はおわりです。

ただ、ホントは大好きな相手で、できればずっと仲良しでいたいなら
どのような形にしろ、いずれの時期にしろ、仲直りは必要ですよね。

お母様方は、子どもがケンカすると
「謝りなさいっ!」
ってヒステリックに叫んだりしますが
そもそも謝るのは、なんらかの「目的のための手段」にすぎません。

そこを意識させてあげない限り
言葉を持たない動物のように、今この瞬間の不快だけになっている子どもには
なぜ謝らないといけないのか、なんの目的のために謝る必要があるのか
それがわかりません。

子どもならまだ人生の色々なことを経験していないので
そもそもわからなくても当然かもですが
実は大人も同じです。

なんらかの行為は、なんらかの目的のための手段であることがほとんどだったりします。
でも、その目的(アドラー心理学用語でいえば、仮想的目標ですね)は
多くの場合、意識にのぼりません。

なぜなら、人間は同時に二つのことを「意識」することができないからです。

例えば、今朝の朝ごはんの味を思い出しながら、「同時に」自分の目の形を思い出してみてください。

できる人、いますか?

そんな風に、人間は同時に異なる二つのことを考えることはできないようになっているのです。
なぜそうなのか、というのは現在の科学で説明もできるのですが、それは置いておくとして
(興味のある方は、私に脳科学セミナーのオーダーでも出してくださいw)

話を戻すと、そんな風に人間はできているので
手段のことを考えながら「同時」には、目的を考えられません。

そして、手段はどこまでいっても手段なので、別の手段だってあるかもしれません。

人が行動するとき、目的を明確にすることで、その手段への動機付けができます。

言い換えると、それをやるモチベーションを起こすためには
その行為の「意味を明確に」する
必要があるということです。

ただ、片付けなさい!と子どもに言うよりも
片付けることで、子どもにどんないいことがあるか、それを「明確に」理解すれば
そしてそれが、子どもにとっての快につながるのであれば、放っておいてもそちらへ向かいます。

よく
「あなたのためなのよ!」
なんてことをおっしゃるお母様がいらっしゃいますが
「何が」「どう」自分のためなのか
それがわからないのに、あなたのためなのよ、だけ言われても
意味わからん、ってことですよ。

また、お母様の価値観で、◯◯につながるよ、と言ったところで
その◯◯に子ども自身が価値を感じられない
つまり快につながらなければ、それはモチベーションにはなり得ません。

人が行動を起こすには、具体的に、かつ、本人にとって価値のある目的を意識できることが大事ってことです。

ここで最もやっちゃいけないことが、論理的にはなんのつながりもない動機付けをすること。
つまり、その行為とはなんの関係もないエサで釣ることです。

テストでいい点数をとったら、新しいゲームを買ってあげる!
とか、そういうことですね。

そんな風な動機付けをすると、その子は、そのエサがないとその行動をしなくなります。

イルカやアシカは、芸をするとご褒美に小さい魚がもらえます。
(イルカやアシカのショーをよく見てみると、必ず何か芸をしたあとに、ご褒美のお魚をもらっていますよね?)
反対にいうと、お魚をもらえるのではないとき
つまり好きに水槽で泳いているときには、わざわざ芸をしてみせてはくれませんよね?
それと同じことが、その行動と論理的つながりのない賞罰で人を動かすときに起こります。

そうではなくて、その行為は、その先の将来にどんなよいことがあるか、という
明確な意味を本人が理解することで
その行動に対して、環境(ゲームが買ってもらえても、もらえなくても)に関係なく
その行動を続けていくことができます。

つまり、賞罰をやめて、その行動の意味を明確にすること
それが何よりも継続のためのモチベーションにつながるということです。

ケンカしちゃったの?
どう?この先もう、◯ちゃんとは一緒に仲良く楽しく過ごせなくてもいいのか
それはやだなって思うのか
あるいは、どうでもいいのか
色々あると思うのだけれど、あなたはどう思う?

まずは、その望みを明確にしてから
じゃあ、また以前のように仲良く遊ぶにはどうしたらいいと思う?
と質問してあげると、謝ると言う「行為の意味」が理解できますよね。

人にも自分にも
その行為の意味、どういう目的のための手段なのか
それを明確にしていくといいですね。