もう何年も昔の話です。

私は夫を突然死で亡くしました。
突然のことに、私はそれを受け入れられなくて
数か月、文字通り食事も喉を通らず、2か月で10キロ近く痩せました。

周りは、私が自死してしまうのではないかと、大変に心配していましたし
私自身も、半ばそれを望んでいたところもありました。

が、結局、私は死なず、今も生きて暮らしています。
最後の最後、私には「死ねない理由」があったからです。
まだ子どもだった息子の存在です。
彼を独りぽっちにさせることは、やはり親としてできないことでした。

が、その頃の私は
「死なない理由」は、あったけれど
「生きる理由」は、ありませんでした。

その頃、お師匠さんに
「生きていて楽しいか?」
と尋ねられましたが、私には
「死ぬわけにはいかないから生きているだけで、楽しいかどうかわからない」
としか答えられませんでした。

そうやって数年生きて、そして、ある夜、夢を見ました。
亡くなった夫が、悲しい目をして私に言うのです。

あなたは僕の誇りだった。
なのに、今のあなたは、生きていて楽しいと即答できないような生を生きている。
僕の誇りを傷つけないで欲しい。

と。

今でもハッキリと覚えています。

その時に思ったのです。
人は「死なない理由」だけで生きていても、それはただ息をしているというだけで
生物学的に生存しているだけに過ぎない。
こんな風に生きていても、亡くなった夫に私は胸を張ることができない。
と。

それから私は、毎日寝る前に
「今日、生きていて楽しいと思える一日を過ごしたか?」
と自問自答するようになりました。

けれど、そんなことを問うたところで、毎日答えは「No」でした。
ただ日々、「~をしなきゃ」と思って暮らしていたからです。

そのことに気づいたときから、私は自分の中の「~したい」という気持ちを探すようになりました。

そうやって暮らしていて、今があります。

私は自他ともに認める凝り性で、多趣味な人間ですが
1年前から、キャンプにはまっています。
多くの人がお休みである日曜や祝日は、ワークショップを開催していたり、個人セッションの予約がいっぱいですので
私のお休みは、平日にとることになり、そして不定休ですから、結果的にキャンプも平日にソロで行くことがほとんどですが
このソロキャンプというのが、やってみると実に素晴らしい。

1人グラスを傾けながら、焚き火の炎を眺めたり、都会では見れない星空を山に猫論で何時間もぼーと眺めたり
キャンプ場近くの温泉に行ったり、誰にも気をつかわず、好きなものを好きな時間に食べたり。

今月は、東京に住む友人と群馬にキャンプに行く予定があり
また岐阜に住むキャンプ友達と滋賀で温泉キャンプをする約束もあります。
11月には、初めましての方含めたキャンプ友達10名ほどでのグループキャンプの予定も入っています。

その日までは、「生きていたいな」と思って暮らしています。

「死ぬわけにはいかないな」から「生きていたいな」に、いつの間にか私の日々は変わっていっていました。

それは、たくさんの「〇〇が好き」「〇〇するのって楽しい」「〇〇に行きたい」という、「want to」で生きているからです。

たくさん、楽しみなことを見つけること。
案外、人によっては難しいことだったりしますが
結局は、それしかないのだろうなと、最近つくづく思います。