早速25日に更新できなくて、あわあわしながら27日に投稿しています。
かと思えば、数年レベルで毎日ブログを更新してる人とかっていうのも、ネットの中に存在していて
何、あの人たち神なの?実に尊い
みたいなw

ま、とりあえず
言い訳なのか、後ろめたさなのか、よくわからん前書きも書いたことなのでw
今夜の本題。

たまに、体育会的ノリのところで
「お前の代わりなんていくらでもいるんだからな!」
みたいな言説を見聞きすることがあります。

それって、役割の話だよね。

人は、個人としてして生き、同時に役割を生きるものでもあって

個人としてのその人は、代替の効かない唯一無二のものだけれど
役割としての話となれば、そりゃ代わりはいくらでもいるってのはまさにそう。

このあたりの存在様式を、ごっちゃにしてしまうと、色々と自分の中が面倒なことになってしまう。

人が孤独になるとしたら
なんらかの社会や組織の中で、「部品」としての居場所しかない時なのかもしれないなぁと思ったりします。

役割や部品は、代替可能です。
もちろん、レジェンドな部品というものもあるけれど
誰かに欲望されたい、希求されたいという欲求は
個人そのものの存在の話であり
だからこそ、友人や彼氏彼女や配偶者が欲しくなったりもするんだろうなぁと。

自分がなんらかの役割・部品として求められているのか
あるいは、自分という個人として求めららているのか
という視点と、自分がどこに、誰に、どちらで希求されたいのか
みたいなことって、案外ごっちゃになっていて
難しい話だよねって思ったりもします。

そして、個人として求められるためには、今後AIが多くのことをやってくれる時代になっていけばいくほど
コミュニケーションというものの重要性が大きくなるんだろうなとも。

そして、このあたりの話が、実は承認欲求と言われるものとも大きくリンクしている話で
承認欲求は、おそらく大なり小なり誰にもあるものだけれど
それに振り回されるのか、そこと折り合いつけながらボチボチやっていくのか
は、人生そのものの質とも関係してくる話で。

個人的には
役割をキッチリこなすのがプロというもんだと私は考えている人ではあるのだけれど
あくまでそれは、役割であり、役割というのは場によって変わるものであり
それとは別の、個人としての人との関わり、あるいは完全に個人のみの時間
それもまたないと、今の時代を生きる上では、生きづらかろう
とも思います。

アドラー的な用語で語れば
利害のない、横の関係、でつきあえる人を持っているかどうか
自分が人とそういう関係を築けるかどうか
そこが、ひとつのキモなんだろうなぁと
ある方の話を聞いて、人というものの存在様式ということについて、あれこれ思いをめぐらしていふ今夜です。