執着と好きの混同

アドラー心理学

いつの頃からか
「寂しい」って感覚は
頭の中が、ただ感情だけがぐるぐるしてて、浮いては消えしていく刹那のことだけ
あるいは
何かに熱中したり、実際に身体が忙しくしてたり、集中して思考したり・・なんてことがないときに起こるのではないだろうか??
ってことを思うようになりました。

退屈と寂しいって、実は近い距離のところにあるんじゃないかなって。

忙しすぎると、燃え尽きて真っ白になるけれど
かといって、上手に暇つぶしができていないと、寂しいとか虚しいとかいったものにつかまってしまうのかも?

3つの遊びのタスク

アドラー先生は3つの遊びのタスクっていうことを言ってました。

・1人で楽しく遊べる
・みんなと楽しく遊べる
・真面目な話、大切な話を、勝ち負けではなく意見交換としてできる

この3つのどれもができるようになると、人生の質は結構上質になるけれど
この3つをどれも、きちんと満たせる人って、案外少ないんだなってことを
相談業をしている思います。

1人が好きで、誰かといると疲れちゃうしイヤだ
とか、反対に
みんなとワイワイしてないと、あるいは誰かが構って相手しててくれないと、寂しくってメンがヘラってきちゃう
とか
1人で遊ぶのも、みんなとワイワイするのはどっちも好きだし、そういう相手はいるけれど、じゃあそういう人たちと、真面目な話ができる?何かについて議論したり話しあったりできる?って言われると、そういうのはちょっと・・
って人が結構多い。

この3つの遊びのタスクって、実は自身の自立とか成熟と関係があるような気がします。

そして、この3つをどれもできるようになるには
どれかに、誰かに、何かに、執着しないことが密かにコツであるなと
仏教原理主義者の私なんぞは、そうも思います。

まぁ話し合えるようになるには、話し合いのお作法を身に着けることも大事だったりもしますが。

対象をたくさん持っていると、もはや依存じゃなくなる

自立とは、依存対象(人でも物でもコトでも)を、多数もてるようになることなんじゃないかなって思うんです。
言い換えると、どこかに誰かに何かに偏重しないことであり
それができるようになると、特定の何かや誰かやコトに、過度に執着しなくなってくるよね
って思います。

これがだめでもあれがある

だからこそ、特定の何かや誰かにすがりつかなくなるんじゃないかしら。

執着と好き
そこを混同している間は、自立は難しいのかも、です。