催眠はコミュニケーションであるって、こういうこと

エリクソン

エリクソンは、催眠とはともにダンスを踊ることである、そう言いました。
言葉としてはわかるんだけれど、実は身体感覚ともなって理解するのはちょっと難しい。
このあたりの感覚もまた、古典催眠とエリクソン催眠の大きく違う点のひとつかも。

古典催眠とエリクソン催眠とを比べてみると
古典催眠は権威的だという風に言われたり、指示的であるといわれたりします。
個人的な感想を言えば、古典催眠はその誘導でトランスに入れる人と入れない人がいるなって思っています。

まぁそりゃそうか。
古典催眠は最初から決まったスクリプトを使うので、言ってみたら自分に合ったサイズの洋服じゃない。
時に違和感があるのは否めない気がします。

そういう意味では、確かにエリクソンの現代催眠に比べると、古典催眠の方が、ある意味、難しいなぁと思う部分はあります。
ただ、既成サイズがぴったりジャストフィットする人がいるように、決まったスクリプトを使う古典催眠でも、うまくフィットする人だっているので
一概に古典を非難したいわけではないんですけれどね。

ただ、全て相手に合わせたオーダーメイドなエリクソン催眠では、トランスに入れない人はいないし
もし入れないのだとしたら、それは誘導者が未熟であるか、あるいは相手がトランスに入ることを望んでいないか、このどちらかですかねぇ。
*そこをどうトランスに入りたいという無意識的望みを作っていくか、っていうのがエリクソンの腕の見せ所なわけですが…

でも、古典であれエリクソンであれ、結局は誘導者の気持ちの問題なんですよね。

催眠にかけてやるんだー、催眠トランスにいれるぞー
って思うから、難しいなぁって思ってしまう。

催眠誘導自体には意味はなくて、むしろ

催眠って、催眠術にしろヒプノセラピーにしろ、誘導よりも催眠トランスに入って何をするか、そっちが大事なんですよ。

エリクソン本人だって、催眠トランスそのものには意味はない。
催眠トランスの中で何をするかだ。
ってそう言ってます。
創始者が言ってるわけですから..ねぇw

目的は催眠トランスにいれることではなくて、いかにその暗示の中の世界で
癒されたり、勇気づけられたり、何かに気付けたり、リラックスできたり、楽しんだり、できるか…
っていうこと。

そこがわかっちゃえば
ちゃんとかけられるかな?
とか
ちゃんとかかるかな?
とか
そういうことよりも
催眠トランスの中で何をするのかな?
というところへフォーカスする。

ぶっちゃけてしまえば、
催眠トランスなんてなくても、その人にとって役立つ暗示が入るのであれば、それでいいっちゃぁいいんですよ。
じゃぁなんでわざわざ催眠やるのか?って話ですが、それについてはまた今度。

いずれにしろ、催眠ってそんなに構える必要のない、ごく普通のことなんだってことに気づけてからは
催眠って楽しいなぁって、心からそう思えるようになりました。

何も催眠に限った話じゃないですよね

例えば、歌手や写真家。

ものすごーく好きなアーティストがいて、その人のことが好きでついていきたいくらいの人には
フォーカスしているのが、その作品ではなくてその人そのものだから、もしかしたら、どんな作品でもありになっちゃうのかもしれない。

でも最初、誰かのファンになるときって
「なんていい歌なんだろう」とか、なんて「素敵な写真だろう」とかとか
たいてはどれも、その世界に心が揺さぶられてファンになったんじゃないかしら。

そうして、その世界を誰かに見せるとき発信するとき
まず、自分がその世界に入っていっていないと、そもそも論として見せるものは何もありませんよね。

私は食いしん坊で、美味しいものを食べるのが大好きです。

誰かと一緒に食事をするときに、もしもその相手が、食べることはエネルギーを得るためでしかない、って考えている人だった場合
私の
きゃー、これ美味しい!!
は、相手にとっては
あ、そうなんだ、よかったね…でしかないw

でもおんなじように、
ほんとだー、すごい美味しいっ!!
って、美味しいを共有できる人と食べたとき、そうでない人と一緒に食べるよりも
食事そのものの味だけではなくて、誰かと共有することでさらに美味しさが増すような気がします。

食いしん坊さんなら、うんうん、って頷ける話じゃない?

反対に、食べるということはエネルギーを得るという行為にしか過ぎない、そう思っておられる人にとっては
私の きゃー美味しい!
は、場合によっては鬱陶しいものかもしれません。

どんなことも、ひとりぼっちよりも、仲間がいる方が、なんだかちょっと楽しいが増える気がします。

共有すること

だから
世界を共有しましょって話。
一緒に楽しみましょって話。

大切なのは
「楽しませてあげる」でもなくて、「癒してあげる」でもなくて
一緒に楽しもう!一緒に癒されよう!っていう風に、同じ世界を共有する仲間になるってこと。

エリクソンは催眠は一緒にダンスを踊るということだって、そう言ってました。

エリクソンを学び始めた最初の頃は、私にとってそれは、言葉としては理解していても、ただ言葉として知っているだけでした。
本当にそれが身体感覚をともなってわかったのは、ある程度の数の人の誘導をするようになった頃からかなぁ。

そのことが身体感覚伴ってわかってくると、催眠というものに対して、それまでよりもずっと構えずにできるようになった気がします。

そして、人生の楽しみ方がまた少し、わかったような気もしています。

やっぱさ、何にしても、共有できる仲間がいるって楽しいし、さらに豊かになれるし。
そうなだったら、まずは自分から、そういう仲間になりにいけばいいってことだよね。

食わず嫌いは損するもと、ですねw