観察すること

エリクソン

エリクソン関連書籍は、何度も何度も読み返します。
アンコモン・セラピーも、ミルトン・エリクソンの心理療法セミナーも
そして、やっと3部作全てが邦訳出版された、エリクソニアンのバイブルと呼ばれるロッシとの3部作も
どれもこれも、何度読み返しても、読み返すたびに新しい発見に満ちています。

ポリオの後遺症

ただ、エリクソンの技法以外の部分でいつも感慨深く思うのは
彼が17歳の時に、ポリオに罹患して、奇跡的に生き延びはしたものの全身不随となり
唯一自分の意志で自由にできたのは、首から上だけ
具体的には、目と口と思考する脳、ただそれだけだったということです。

17歳男子ですよ?
それまで当たり前に、自分の足であるき、食べ、排泄をしていた17歳の男の子が
一晩明けた瞬間、食べることもトイレも、全て人の手を借りなければならなくなった。

絶望して当然だと思うなぁ。

でも、彼には自殺することすらできなかった、なぜなら体が自由に動かないのだから。
そのことを考えると、おそらく深い深い絶望を一瞬たりとも感じなかった、なんてことはないと思うのです。
*エリクソン自身は、自身の絶望について言及したことはなかったようですが…

だけれど、死ぬに死ねないわけで、彼にできたことといえば
落ちないようにロッキングチェアにくくりつけてもらって
彼の世話をしてくれる人達や、まわりをひたすら観察し、考えることだけだったわけで。

そして、エリクソンは、当時ハイハイしだした赤ん坊の妹が
どうやって立つようになっていくか、歩くようになっていくか
それをただひたすら詳細に観察し考察し、自分で自分のリハビリをして、全身不随状態から回復したのです。

最初に足の親指がピクリと一瞬動いたとき、彼は「自分はまた歩けるようになる!」と確信し歓喜したといいます。

このエピソードは、これこそが人間の持つレジリエンス(回復する力・困難や逆境の中にあっても心が折れることなく、状況に合わせて柔軟に生き延びようとする力)を表しているなぁと思います。
エリクソンのこのエピソードは私に、人間の、生きるということの切なさと、そして人間の可能性や強さみたいなものを、強く信じさせてくれます。

そして、このエピソードがあるからこそ
ミルトン・エリクソンという一人の天才を、何か自分たちとは別の特別な何かのように
ただ特別視し、彼もまたひとりの人間である、ということを考えようともしない人たちを見ると、切なくなったりもします。

エリクソンの天才は・・

エリクソンの天才のゆえんは全て、彼の類稀なる観察力からきていて
その類稀なる観察力は、彼が全く動けなくなってからまた歩けるようになるまでの過程の中で
彼に唯一できた観察と思考から得た賜物としか言いようがないものなのですから。

17歳の少年が置かれた絶望的と言っても過言ではない状況
そこから回復するまでの、時に死よりもつらい切ない思いに全く思いをめぐらせることなく
ただの天才だとしか考えない人たちの想像力の欠如は
時にそれが、セラピストであったり、セラピストを目指している人であったりしたとき
私に、大変に切ない思いを呼び起こしたりするのです。

心理学やセラピーの世界でよく言われる「寄り添い」という言葉。
*実は私はこの言葉が嫌いですが
なぜか、エリクソンの深い絶望や悲しみに思いを巡らそうともしないような人に限って、やたら「寄り添い」なんてことを言うのは、なんの冗談なのか?なんて思うときもあります。
…なんだか、愚痴っぽくなっちゃったかしら

結局、技法以前の話として
大切なことは、相手をよく観察し、相手の話をよく聞き、極力ただしく理解しようと努める
その姿勢なんだろうと、この仕事を続ければ続けるほど、キャリアが長くなればなるほど
そう思う自分がいたりします。

技法も磨くことはもちろん大切だけれど
それ以前のこととして、相手を観察することなしには、どんな技法も絵にかいた餅にしかならない。

観察って案外難しい

とはいえ、この観察することって、実はとても難しいんですよねぇ。

観察と言いつつ、ただ網膜に映っているだけ
というのが、実のところ大半の人の現状ではないだろうか、と思うこともあります。
特に、ただ黙って見ているのではなく、自分が話しながら相手を観察できる人は、存外少ない
それが、セミナーやワークショップを通じてたくさんの方たちを見ていての実感です。

それは、なぜか?
そう考えたとき、いくつか推測できることはあるのだけれど
その中のひとつに、観察と言われても、具体的に何を、そして何に気を付けて、観察すればいいのかわからない
という、そもそも対人コミュニケーションにおける観察というものが、具体的には何をどうすることなのかを知らない人が多いからではないだろうか、と思うこともあります。

だって、ねぇ。
そんなこと、学校の先生も、親も兄弟も、そして友達も、たいていの場合誰も教えてなんてくれないものね。

というわけで、エリラボのクラスの中でも上位クラスであるトラの穴というクラスがあるんですが
そこでは、コーチングやカウンセリングのスキルはもちろんのことですが
観察ということについて、大変にうるさく指導させていただいています。

知らないことはやりようがないのだから、人に教えを請えばいいし
慣れないことはトレーニングすればいい。
私はそう思っています。

対人コミュニケーションにおける観察。
それは具体的には何を観察し、どこに気を付けて観察すればいいか。

おそらくそれが、かなりの精度でできる人だけが
寄り添いと呼ばれるものを自然となしえるんじゃないかなぁ
そんなことも思ったりする今日この頃です。