加点法・減点法

上手に生きる

他者を判断・評価するときに、大別すると

加点法で見る人と
減点法で見る人

がいらっしゃいます。

加点法・減点法

加点法・減点法って、どういうことかというと

例えば、誰かと初めて会ったとします。
ぱっと見た第一印象というものがありますが、しばらくその人を見たり話したりしているうちに

笑った顔がキュートだゎ
なんだかわからないけど、いい雰囲気あるよねぇ
お金はなさそうだけど、でも生活を上手に楽しんでる感じ

な~んていう風に、時間とともに無意識的に好ましいところを見つけていく
これ、加点法の人です。

反対に、しばらくその人を見ていたり、話したりしているうちに

なんだか、服装のセンスがイケてない感じだなぁ…
話してる内容が、なんだか、頭が悪そうだなぁ…
なんだかしみったれてて、ケチくさいなぁ…

な~んていう風に、時間とともに無意識的に好ましくないところをみつけていく
これ、減点法の人です。

ひらたく言うと、足りてるところにだけ目がいきがちっていうのと、足りてないところにばかり目がいきがち、っていうことです。

どっちがいいとか悪いとかじゃなくって、まぁ癖みたいなものです。
癖でしかないのだから、どっちが正しいとか間違いとか、どっちがいいとか悪いとかでなくて
どっちを使うほうが、今の自分の状況に役立ちそうか
それだけのことです。

例えば、やたらと惚れっぽくて、そのせいで色々と彼氏や彼女ともめてしまうような人は
加点法の場合が多いのかもしれません。

その場合、自分は加点法を使っているかも?
じゃあ、ちょっと意識して、減点法も使ってみよう。

そんな風に思うことができたら、やたら惚れっぽいのを、意識的にちょっと変えることができるかも?

反対に、なんだか、好きな人が見つからないなぁ・・
そういう人は、気づかないうちに減点法で他者を見ているかもなので
ちょっと意識して加点法に変えてみると、案外、好きな人ができるかもしれなかったり。

どこから見るかによって変わってくる

他者に対しては、自分が加点法の癖があるのか、減点法の癖があるのかは、案外気がつけますが
自分に対してはどうでしょう?

うちの生徒さんに、やたら自分に対しての理想が高くて、自分にOKを出しづらい方がいらっしゃいます。

理想を抱いて海の中深く沈んでいくがいい

なんて意地悪を言って、からかってみたりするんですが
人間なんて、いいところもあれば悪いところもある。
それがごく自然な姿だし
いいところは、違う場面では足を引っ張る要素ともなるし
悪いところも、違う見方をすると自分を助けている要素だったりもします。

つまり、どの視座から見るかによって、いい・悪いなんてぇものは変わってくるわけです。
要はその持ってる性質ではなく、それをどう使うか、そここそが大事なんじゃないでしょうか。

要は使い方

例えば、私は人からは何でも器用にこなすと見られてるようなんですが
大変に雑で、その結果、二度手間になってしまい、かえって時間がかかったりしがちです。
*いいように言えば、小さいことは気にしないともいえますがw

これ、減点法的に見れば、器用に見えて案外雑で、かえって不器用だなぁってなるわけですが
その雑さは、私の場合、決断の速さにつながっていたりもするので
何かを決断するときには、決断のために使うエネルギーが少なくてすんだりもしています。
でもって、その雑な決断の結果、よく失敗もするのですが、ここでまた雑さがうまい仕事をしてくれて、「まぁしゃ~ないか」と、おそらく人よりもくよくよすることは少ないようです。

なので、加点法だとか減点法だとか、そういう見方をするのではなくて
この人の、あるいは自分の、その性質は、どういう場面ではいい仕事をして、どういう場面では足を引っ張るのか
と、そういう風な見方ができると
色々と気をつけることもできるんじゃないかな。

包丁は、美味しいお料理作りに欠かせないものですが
使い方によっては、人を刺す道具にもなるわけで
包丁という道具そのものではなく、使い方によって、いい悪いが決まってくるものですよね。

減点法の人は、よくないと思ってるそれが、どういう場面ではいい仕事をするか一度考えてみるといいし
加点法の人は、いいと思ってるそれが、どういう場面では足を引っ張るのか、それを一度考えてみると
世界の見え方が、今とは少し変わってくるかもしれません。

自分以外の他者とは、なんだったら付き合いをやめることもできますが
自分自身とは、死ぬまでずっと、望もうと望むまいと、付き合い続けるしかないのですから
できるだけ自分の色々な性質の、上手い使い方ができるようになることが、上手に生きるってことなのかもしれないですね。

 

 

 

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