後悔と反省

上手に生きる

後悔と反省
この2つの違い、ちゃんと言葉にして説明できますか?

後悔とは、後から悔やむこと
反省とは、反対の立場から省みること

読んで字のごとく、ですね。

原因はひとつだけ?

私たちは、何かネガティブな思いに捉われてしまう出来事があったとき

「どうして、あの人はあんなことを言った(した)んだろ(*`Д´)ノ」
だとか
「どうしてあそこで、あんなことを言って(して)しまったんだろ(T_T)」
だとか

Why で考えます。
これは、原因思考です。

何か物が壊れたというような物質的なことであれば、原因を考えるのは大いに役立つでしょう。
けれど、こと人間同士の何かに関してというのは、多くの場合、原因というのは、実はひとつではありません。
いくつものことが複雑にからみあった要素があるのです。

例えば、過去にいじめにあって不登校になってしまい、結局最終学歴が中卒になってしまった人がいたとしましょう。
その時、もしも学校の先生が上手に対処してくれていたら、果たして不登校になっていたでしょうか?
または、ひとりでも、いじめに加担せずにかばってくれる子がいたとしたら?
あるいは、親がすぐに転校の手続きをとっていたとしたらどうでしょう?
はたまた、高校は不登校の結果、中退ということになってしまったけれど、大検を受検して合格していたとしたら?

こんな風に、原因というのは、複雑に色々な要素が絡み合っていたりすることがほとんどです。

相手はあなたの言動に反応して、なんらかの言動を起こす

ですが
実は、対人関係において、たったひとつ確実に言えることがあります。

それは、あなたの言ったりしたりしたことに、相手は反応して、何かを言ったり行動したりする
ということです。

人間の対人コミュニケーションというのは常に、自分ひとりでは成立しません
*これを仏教では「縁起」というのですが。

相手の言った(した)ことを受けて、自分が何か言い(する)
それを受けて、相手がまた何か言ったりしたりする、
こんな風に、常に、コミュニケーションというのは円環的に、相互の行為・行動から創発されるのです。

どんな望みがあったんだろう?

相手がそれを言うのは、どのような目的(望み)があったのだろう?

それを考えると、解決の糸口が見えてきます。

また
起こってしまったことは、もう既に消すことのできない過去の出来事になっています。
もちろん、時に、悲しい過去に捉われてしまうことがあるのは人間の常ですが
どうせなら、転んでも何か掴んで起き上がる方が、転んだこと自体が無駄にならない
私はそう考えています

あの出来事から、自分は何を学べるのだろう?
それを考えることが、反省、つまり省みることであり
それが自己成長につながります。

あの人からはいつも叱られる、意地悪をされる…
そんな風に思うとき

あの人の望みは何だったのだろうな?

それを考えてみること、つまり反対の立場で省みること
それによって、見えてくるものがあります。

割と多くの人は、真剣に考えず
ただ私をいじめたかっただけでしょ!(`へ´)
なんてことをおっしゃるのですが、仮に、ただ虐めたいだけ だとしても、その裏には、何らかの望みがあるのです。

誰かをいじめる人というのは、多くの場合、そのいじめっこ自身が何か鬱屈したストレスを抱えていたりします。
親のしめつけが厳しすぎる子、親の期待が重すぎる子、誰かをスケープゴートにして仮初の仲間のようなものが欲しい子・家で虐待されている子….

そんな鬱屈したものを、自分で処理できなくて、それを誰かにぶつける。
多くの場合、虐めの裏にはそんなものがあったりします。
*これは虐めを容認しろと言ってるわけではなく、もちろん虐めというのは、容認できることでも、していいことでもない、と私は思っていることはハッキリと言っておきます。

望みにフォーカスをあてると、自分あるいはその人が見えてくる

望みが行動を生みます。
行動は人生を作ります。

望みにフォーカスをあてると
自分の、あるいは、その人の人生が見えます。

そうして、自分の望みというものにフォーカスをあてることで
自分のより適切な行動をつくり
自分の人生を作っていくことができます。

それが継続的なものであれ、一時の感情であれ、なんらかの行動を起こす(この場合、何もしないということも含めて行動、です)その裏には
その行動を起こすことでかなえたい望みがあります。

だからこそ、単に感情のまま思考停止して突き進むのではなく
何か言いたい・アクションを起こしたいというそれは、そのことをすることによって、自分は何を得ようとしているのか
その望みというものをチェックしていくと
案外、自分が望んでいることは、その言動をしてはかえって逆効果だったり、不適切だったりするということに気づけたりもします。

感情は、勝手にわきあがってくるものですから、制御はできませんが
行動は制御できます

行動化する前に、ほんの少しだけ立ち止まってみて、自分がその言動をすることで一体何を得ようとしているのかを考えてみる。

それが、人生をうまくやっていくためのコツです。

後悔を訳たたずにするか、活かすかは、その後の自分しだい

ことわざにもあるじゃない?
後悔先立たず
ってね。

つまり、もし記憶を失ってその時間にタイムリープしたとしたら
やっぱり、今後悔しているのと同じことをしてしまうのじゃない?ってこと。

だとしたら
それは避けられない失敗ともいえるわけで
その失敗にただ悲観して、なぜ?なぜ?なんてぐるぐるしていては
後悔役たたず、で終わってしまう。
つまり、意義のない失敗に終わってしまう。

けれど、その失敗から何を学んで、そのことをその後の自分の人生に活かしていけるとしたら…

それは、意義のある失敗になるんじゃないかなぁ。

後悔しても、過去にただ「なぜ?なぜ?」なんてぐるぐるしてても、ネガティブな思いを強化するだけで、悲劇のヒロインにはなれるけれど
それ以上のいいことは、何もありませんよってこと。

後悔するのなら、そこから何かをつかんでこないとね。

 

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