心にオムツをはいている

コミュニケーション

誰が言っていたのかもう忘れてしまったのだけれど
「大人の好き」は、「この人を大切にしたい、この人のためにしてあげたい」
だけれど
「赤ちゃんの好き」は、「この人に私の機嫌をとってほしい」
なんだって。

あかちゃん

赤ちゃんは、自分で自分の排泄処理もできないし、自分の手で食べ物を口に運ぶこともできない。
全てを人に依存することでしか、生き延びられない。
赤ちゃんて、そういう存在ですよね。

それが、少しづつ、自分でトイレに行って排泄処理をするようになり
自分でスプーンなり箸なりを持って、自分の口に自分で食物を運べるようになっていって、親やまわりはその成長を喜んだりして。

そうやって、少しづつ、自分でできることが増えていって、人は一歩一歩、大人になっていくんだけれど
体はそうやって大人になっていくのに、心だけがいつまでも赤ちゃんで、自分の機嫌を人にとってもらわないと、自分自身では自分の心をどうすることもできない人っていうのを時々みかけます。

自分の心なのに。
そして
もう自分のことは、自分でできるにも関わらず。

心にオムツをはいている

姿だけが大人の、大人モドキ?そういうのを、幼形成熟(ネオテニー)と言います。
犬なんかがそうで、オオカミの子どもの形と性質を保ったまま、大人に進化した動物がイヌなんだとか。

私にとっては、大人モドキ、赤ちゃん大人との会話って、たいていはとてもつまらない気がします。
なぜなら、相手を楽しませようという気持ちが全くなくて、ただただ、自分の機嫌をとらせようとする話ばかりだから。

なんていうか、「私を楽しませて!」って、無意識的の声が聞こえてくるような
自分で自分を楽しませることができず、構ってもらえないとブスっと不機嫌にしているような、そんな人を好む人って、どれくらいいるんだろ?

不機嫌を周りにまき散らす人を見るたびに、「あぁこの人はまだ、心にオムツをはいてるんだなぁ」って、私はよくそんな風に思います。

大人になるって

平気で自分の不機嫌をまき散らして、人に機嫌をとらせようとするような、そんな心にオムツをはいたまんまの大人モドキからは、人が自然と離れていってしまう。
だって、いやでしょ?そんな人。

そして、気づいたらまわりにいるのは、どこかで利用したり搾取してやろうと思ってるような人たちか、あるいは、共依存的な、誰かを依存させることに依存しているイネイブラーしか、残らなかったりしがち。

けれど、イネイブラー要素の高い人でも、どんな人にだって、限界というものがあるから
切ない話ではあるけれど、多くの共依存は、残念な結末を迎えることが多いなって、この仕事をして色々な方の話を聞く中で、実感として思います。

人から愛されたいのなら
所属に成功したいのなら
大人モドキをやめて、大人になることなんじゃないかなぁ。

心のオムツがとれるためには、自分で自分の機嫌をとれるようになること。
そこからなのかもしれない。