今日のこの話は、私が好きで、よく講座でも話すある逸話です。
原担山(1819-1892)さんという禅宗のお坊さんのお話。
*江戸時代から明治時代にかけての人ですね
担山和尚、女性を抱いて河を渡る
この担山和尚が若かった頃、別のお坊さん(とりあえず坊さんBと呼びましょうか)と一緒に修行の旅をしていました。
ある時、二人は大きな河にさしかかります。
ところが、河には橋も船もない。
そこにちょうど、若いお嬢さんが、河を渡れなくて立ち往生していました。
で、この担山和尚、立ち往生してるお嬢さんを気の毒に思ったのか、お嬢さんが濡れなくてすむように、担山和尚が抱っこして河を渡してあげたのです。
しばらくしてから、担山和尚と一緒に旅をしていたもう一人のお坊さん(坊さんB)が、担山和尚に対して猛烈に抗議します。
お前は、出家の身でありながら、女性に触れるとは恥をしれっ(*`Д´)ノ
こんな感じですかね。
そしたら、担山和尚、からからと笑って一言。
なんだお前、まだ女を抱いていたのか。
わしはとっくの昔に降ろしたぞ。
くーっ!
カッコいい~(´д`*
これは 原担山和尚全集 という本に載っているお話です。
今ここにいるのは身体だけ
きっとね、担山和尚と一緒に旅をしていた坊さんBは、ずっと心の中で、モヤモヤと
担山は、出家の身で、なんだあれは(`Д´)ノ
とかなんとか
ず~っと色々ぐるぐるしてたんじゃないかなぁ。
でも、多くの人は、この担山和尚ではなくて
一緒にいた坊さんBのようになってしまうような気がします。
つまり、今ここにはない過ぎたことにとらわれて、そのことをぐるぐる考えて生きてることが結構あるってこと。
きっとこの坊さんBね
河を渡って、それから歩いた道の脇に、どんな木が植わっていたか
どんな花が咲いていたか
そんなこと、まるで覚えていないんじゃないかと思います。
もしかしたら、覚えてる以前に、全く見てなかったかもしれない。
でもきっと、担山和尚は、ちゃんと今ここにいるから
河を渡ってお嬢さんを下したあと、歩く道の木々や花を楽しみ
もしかしたら、途中にあった茶店のお団子を
美味しそうだな~(´д`*
なんて思って見てたかもしれない。
今ここを生きるって、こういうこと。
身体も心も今ここに
おそらく今ここを生きるという言葉は知っていても、何か気になることがあると、今ここを生きることが難しくなることって、よくあることなんじゃないかなぁ。
私?
だからキャンプに行くんですよw
日本アルプスの麓に抱かれ、振るような星空をあんぐり口を開けて眺め、あるいは夕焼けに染まる富士山にただただ魅入ってしまう。
個人的には、癒されるっていう言葉は知ってるけれど、感覚的にはよくわからない言葉なんだけれど
もしかしたら、世間でいう癒しって、今ここにいられる何かなんだろうか?