今の時代の人なら哄笑するネタかもしれないけれど
かつて、日本で最も美しい女優と呼ばれた人に吉永小百合さんという方がいます。
*もちろんこれを読まれている方はご存じかと思いますが、今でもご存命で現役の女優さんとしてご活躍なさっておられます。
かつて、お若い頃には日本を代表する美人女優であられた吉永小百合さんの熱心なファンの方たちは「サユリスト」と呼ばれたりしていました。
そんなサユリストの方の中には、本気でマジで、「吉永小百合は排泄しない」なんて言ってた方がおられて・・
ンなアホなw
いかな吉永小百合さんでも、人間である以上は、ごくごく私たちと同じ器官をもち、私たち同じように何かを食べてそれを排泄して生きていらっしゃいます。
ですが、勝手に夢を見ているサユリストの方たちの中には、もしも仮に御不浄のドアを開けて出ていらっしゃる吉永小百合さんを見たら、勝手にガッカリしたりする人もいたのではないかと・・
期待値
世の中には、勝手に他者に自分の夢を投影して、現実のその人を知って、勝手にガッカリしたり幻滅したりする人というのが、常に一定数おられるようです。
そして、それは自分自身に対してもそうだったりする人もいらっしゃいます。
幻想と現実の違いがわからない、言い方を変えると、他者への、あるいは自分自身への「こうであって欲しい、いやこうであるに違いない」という期待値が異常に高い人というのがいます。
これ、こんな風に言われてもピンとこない人も多くいらっしゃる方が多いかと思うのですが
案外、人間というものに対しての期待値が高い方っていうのは、結構いらっしゃって
「いい大人がそんなアホな考えなワケがない」みたいな、そんな風に考える人っているんですよね。
私はよく、ムスコに「君が思っているよりずっと、そして多く、人はアホで愚かなんだよ」ということを言いますし、かつては亡くなった夫にもよく言っていたことです。
なまじ頭がいい人の方が、そういう人間というものへの期待値が無意識的に高いのかもしれません。
だって人間だもの
相田みつおさんという書道家の方の有名な言葉に「だって人間だもの」というものがあります。
あれは、人間の愚かさを知っているからこそ、「しゃーないよ、だって人間(愚か)だもの」という、期待値の低さを表しているのだろうと思います。
人が誰かや何かにガッカリしたり、哀しくなったり腹が立ったりするのは、望んでいたこと・思っていたことと違うからだったりします。
言い換えると、ある種の夢が破れたということもできるかも。
人や自分を否定してしまわない方法、嫌悪したりしない方法、現実のその人や自分を好きも嫌いもなくごく当たり前のこととして受け止める方法にはいくつかありますが
その一つが、期待値を下げる、ということだったりします。
向上心は大切ですし、夢を持つことは頑張る原動力にもなりますが、夢は夢であって現実とは違う
そのことをわかっていないと、夢に振り回されて、現実を見る目を失ってしまいがちですから。
100年の恋も一瞬で覚めるって、おそらくそういうことですよ。
誰だったかが言ってました。
恋とは夢を見ることであり、愛とは現実を受け入れることだ、って。
恋でも愛でも何でもいいのですが、生きづらさがこの自分自身や他者への期待値が高いゆえであるのなら、その期待値はもう少し下げた方がいいような気がします。