散る桜 残る桜も…

雑記

散る桜 残る桜も 散る桜

江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛禅師の辞世の句と言われている歌です。

私は仕事柄たくさんの方にお会いします。
年間300人以上の方にお会いする日々を何年も何十年も続けていると、本当にたくさんです。
数千人というたくさんの方にお会いする分、まだお若くして儚くなられてしまう方も、時におられます。

この季節、美しい桜を眺めていると
いつも、この良寛禅師の句とともに、今はもう会えなくなってしまった人たちの顔が思い起こされます。

桜というのは、とても美しく、そしてなぜか少し切ない印象のある花で
でもだからこそ、情緒的な日本人には特に愛されるのかもしれないですね。

私には、自分の生きた証が欲しいという感覚はさっぱりわからないけれど
でも、ふと何かのきっかけで思い出す
そんな風に、誰かの記憶に小さく残ることもまた、小さな、けれど確かな、生きた証なのかもしれません。

そして、生まれてきた以上、誰一人とも関わらずに生きていくことなんてできなくて
*少なくとも、ある年齢までは、家族または家族的な誰かと同居せずには
*誰も赤ん坊の時から完全に一人では生きていけませんから
だから、生きた証なんて必死に求める必要なんてないんではないだろうか
そんなことも思います。

散ったあとのことよりも、今を盛りに美しく咲きたいものだと、そんなこともまた思うのです。
どうせ早いか遅いかの違いしかないのだから
咲いている今こそ、美しく、精いっぱい、ありたいものです。