直接そこを狙うのではなく、結果的にそうなるようにする

雑記

私はもう長い間、坐禅人です。
坐禅のお師匠さんがいて、でも彼から坐禅について教えてもらったことは、ほんのわずかのことだけです。
お師匠さんと私との都合が合うときだけ、月に一度おうかがいして、一緒に坐り、そのあと1時間ほどなんてことないことをおしゃべりして帰ります。

私のお師匠さんは、一般家庭から社会人を数年経験して、自らの意思で永平寺に入られた方です。
その後、永平寺に20年近くいらして、それ以上はどうしても居続けられないとわかって、福井に住寺を持たれ、永平寺を降りられました。
*とは言っても、今でも毎月、永平寺に若い僧侶の方の指導に行ってらっしゃいますが

彼の坐禅は、永平寺の開祖である道元禅師の教えに基づいた坐禅です。

つまり
「仏道をならうというは、自己をならうなり。
自己をならうというは、自己を忘るるなり」
という正法眼蔵にのっとったものです。

この、自己を忘れるる、という言葉は、道元禅師の言葉を使えば、心身脱落した先にあるものです。

話は戻りますが、私からお願いして、お師匠さんに坐禅を指導して欲しいとお願いし、色々あって、そのお願いを受けてくださったのですが
実は、坐禅指導といっても、初めて見ていただいたときに一度教えていただいたそれだけです。

何を教えていただいたかというと
意識して力を抜くことが難しいのは、身体のこの部分です、と言って、胸の真ん中上あたりを示されました。
そのためには、どうやったらそこが脱力するか、そこがどこと連動しているかを考える必要があります
とも言われました。

頭の上から紐でひっぱられているイメージとよく言われますが、あれはダメです。
それをすると、肩や背中に無駄に力が入って、心身脱落できません、とも言われました。

坐禅をする上で、少なくとも心身脱落を狙って坐禅をするのであれば、坐相はとても大切です。
なぜなら、身体に意識がいっている状態は、心身脱落ではなく、かといって完全に全身が脱力してしまうと、坐禅する上で色々問題はありますが、その最たるものは寝てしまうからですw

あとは、人間というのは、おそらく意識して何も考えない、いわば無の状態になるのはほとんど無理なんじゃないかと、色々な方とともに坐って、指導させていただいた中で実感します。
無になろうとするのではなく、結果的に何も考えられない状態にすることの方が現実的だったりします。

そのための方法として、私のお師匠さんのやり方は、全てのあらゆる音を拾う、というやり方です。
多くの場合、何か音がすると、勝手に「〇〇の音だ」と判断してしまうものですが、その判断をしている間は、微細な音を拾えません。拾いこぼしてしまうのです。
ですから、あらゆる音を、一切判断せずただ拾うだけ、これをすると、結果的に何も考えることができなくなります。

こういう風に、直接狙ったそのものをやろうとするのではなく、結果的にそうなるための方策を考えるというお師匠さんの考え方ややり方を知ったとき
あ、エリクソンだ・・
と思ったものです。

毎月一緒に坐りはしますが、坐禅について直接指導していただいたのは、初めての時の1回きり
しかも、脱力するための坐り方のポイントと、全ての音を拾うという、このことだけです。
あとは、毎日私が坐って、その中でコツのようなものを身体的感覚として会得していくしかありません。
とはいえ、それでももう少し何かアドバイスをして欲しいと思ったことが、実は過去に何度かありますがw
でもそれは、私が坐るうえで困っていることがある、というよりは
わかりやすく何か手をかけてもらえてる感が欲しいという、こどもっぽい甘えのようなものだったのだろうなと今では思っています。
*自分で書いてても、そのガキくささが恥ずかしいw

お師匠さんとの、なんてことないおしゃべりは、私にとっては、彼の思考方法をたくさん拾って、その中で、私に合うもの、使えるものを自分の中に形作っていく作業だったりします。

エリクソンは、よく、意識のダミーを置くというやり方をします。
アインシュタインの名言に「どんな問題も、それをつくり出したときの意識レベルでは解決できない」というものがありますが、それに似ているかもしれません。

何かを意識しながら、そのことを忘れるというのは不可能です。
忘れるためには、覚えている必要があり、意識するということは、そのことを強化していく作業ですから。

この仕事をしていて、色々な方のお話をうかがっている中でフト思うことがあります。
それは、意識してできること、意識すればかえってできなくなること
それを区分けすること、案外そのことを最初に学ぶことが重要なのではないかと、ということです。

何かを忘れたり、考えなくなるためには、別の何かに夢中になることです。
よく言うじゃないですか、失恋の痛手に効くのは新しい男薬(女薬)だって、ね。